大相撲の元幕内・照強翔輝さん。
今回は、照強翔輝さんの学歴・経歴についてまとめました。
是非最後までご覧ください。
照強翔輝のwikiプロフィール
- 四股名 : 照強 翔輝(てるつよし しょうき)
- 本名 : 福岡 (鈴木)翔輝
- 読み方 : ふくおか(すずき)しょうき
- 生年月日: 1995年1月17日
- 年齢 : 30歳(2025年8月時点)
- 出身地 : 兵庫県南あわじ市(出生地は洲本市)
- 身長 : 169.0cm
- 体重 : 107.0kg
阪神・淡路大震災が発生した15時間後に誕生しました。

”照強”というしこ名は「強くなって被災した地元を照らせるように」と師匠が命名したそうです。
照強(鈴木翔輝)の学歴は?ヤンチャで高校進学していない?
照強翔輝さんの学歴を見ていきましょう。
三原町立八木小学校(現在:南あわじ市立八木小学校)
小学1年生の時から柔道を始めましたが、当時は道場へ行くことを嫌がっていたそうです。
3年生の時に両親が離婚。親権は母親(旧姓:菊井)が持つことに。

しかし、名字が「福岡」なのは姓名判断の結果からだそうです。
4年の時に、わんぱく相撲の大会に飛び入り参加。
飛び入り参加したにもかかわらず、2位という結果を残しました。
それをきっかけに相撲を始め、地元の道場に通うようになったそうです。
南あわじ市立三原中学校
厳しい練習を乗り越え、在学中は全国大会でベスト16という結果を残しました。
中学3年生になると、
相撲の道場には通っても学校には年間30日しか出席しなくなるなど真面目に通わなくなり、夜通し遊び続けるなど荒れた生活を送るようになっていた。
3年生の全国都道府県中学校相撲選手権大会には髪を染めた状態で出場した。
など、やんちゃなエピソードもありました。
高校進学はせず、大相撲に入門
- 勉強が嫌いだった
- (亡くなった)祖父からたびたび「力士になれ」と言われ続けていた
- 中学を休み過ぎて公立高校に行けなくなった
と理由について語っています。

通っていた道場の監督と、師匠の元横綱:旭富士が知り合いだったことから、伊勢ヶ濱部屋に入門しています。
照強(鈴木翔輝)の経歴は?糖尿病で引退し運営会社の取締役に?
伊勢ヶ濱部屋に入門
当時身長は167cmしかありませんでしたが、第二新弟子検査に合格して2010年3月に春場所で初土俵を踏みました。
19年春場所で新入幕を果たし、名古屋場所では12勝を挙げて敢闘賞を受賞。
2024年3月に引退
しかし、糖尿病の影響などがあり成績が振るわず2024年3月に引退。
引退理由について、
「持病の糖尿病悪化の為、十分な稽古が困難になった」
とされています。
引退後は運営会社の取締役に?相撲体験型レストランをオープン!
引退後は、母が経営するたまねぎ関連の会社を手伝い、格闘家としても活動されていました。
格闘家として活動する中、「仲間と一緒に、以前からやってみたかった」という相撲体験型レストランの夢が膨らみ、
2025年6月11日に相撲体験型レストラン「SUMOLAND in 両国」をオープン。

照強翔輝さんは運営会社の取締役を務めています。

相撲体験型レストランってどんな感じなのかな?
相撲体験型レストラン「SUMOLAND in 両国」のHPを見てみると、
- 横綱を生んだ本格ちゃんこ鍋を堪能
- 相撲と神事の関係を学ぶ
- 餅つき体験
- 相撲を知る、体験する
- 力士との取組を体験する
- 力士と写真撮影&お土産
といったかなり魅力的な内容となっていました。

元小結千代大龍の明月院秀政さんが出演するなどかなり豪華!
照強翔輝さんは取締役を務めながらも、自らまわしを着け、土俵入り、禁じ手の紹介、餅つき、相撲の稽古、取組等を実演するなど公演を盛り上げています。

相撲女子も増えているからかなり人気が出そうですね
まとめ
今回は、照強翔輝さんの学歴・経歴についてまとめてきました。
- 小学校:三原町立八木小学校(現在:南あわじ市立八木小学校)
- 中学校:南あわじ市立三原中学校
- 高校 :高校に進学せずに大相撲に入門
- 2010年3月に春場所で初土俵を踏む
- 糖尿病の影響などで2024年3月に引退
- 引退後は母が経営するたまねぎ関連の会社を手伝い、格闘家としても活動
- 運営会社の取締役を務めている。
- 相撲体験型レストラン「SUMOLAND in 両国」をオープン
引退後も新たな挑戦を続ける、照強翔輝さんの今後の活動にも注目が集まりそうです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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